3きょうだい全員が医学部合格!  塾長が語る“子が伸びる”母子関係(前編)

私には3人の子どもがいます。将来医師にしたいと思って子育てしたわけではありませんが、全員が医学部に進学し、今は医師として活躍しています。私なりの子育て論について、子ども側の意見も交えながらお話ししたいと思います。

医学部合格した3きょうだい、今は医師として活躍

私が子育てで大事にしてきたことをお話しする前に、私の子どもたちについて紹介します。
長男は九州大学医学部を卒業し、呼吸器外科医師をしています。また、病院勤務と兼務して私の塾を手伝い、高校部門統括をしてくれています。
また、長女は小児科の医師に、次男は外科系の医師をしています。

「どんな子育てをしてきたの?」の質問に答えたい

子どもが3人とも医師だと言うと、子育て中のお母様方から「どういうふうに子育てしたら、そういう子どもが育つんですか?」「どんな勉強をさせましたか?」と必ず聞かれます。その都度、自分がやってきた子育てを振り返って話してきましたが、その中で「これが良かったのかな?」と見えてきたことがあります。今回はそのお話をします。
ただし、私の意見はあくまで親の立場からのもので、子どもの受け止め方は違うかもしれません。そこで長男と長女にも参加してもらい、子どもの立場から「当時どうだったか」の率直な意見をもらいました。
私の子育て法が正しいのかどうかは分かりませんが、子育てに奮闘するお母様方の何かしらの参考になれば嬉しいです。

「ゆとり」の子育て・教育への違和感

今、子育てを頑張っているお母様方のほとんどは、子育てや教育のキーワードが「ゆとり」だった世代だと思います。私は昭和●30年代生まれの人間で、親からかなり厳しく育てられたこともあり、現在主流の子育て・教育には違和感や戸惑いがあります。

競争を否定し、みんな平等が言われ始めた2000年代

いわゆる“ゆとり世代”は、それまでの詰め込み教育や競争社会に懐疑的で、「みんな平等で、みんなが満足する」ことが良しとされました。2000年代に入った頃から、運動会の徒競走をしても順位をつけない、お遊戯会で桃太郎が何人もいる(桃太郎をやりたい子が全員なれるため)など、私の世代からすると「なぜ?」と首を傾げたくなるような話を聞くようになりました。
人は競争の中で目標ができたり、もっと頑張ろうと思えたりするものです。努力しなくても認めてもらえるなら、人間は堕落してしまうでしょう。私は競争を否定することに恐ろしさを感じます。

「子の自主性の尊重」もキーワードに

また、この世代は「子の自主性の尊重」が言われ始めた時代でもあります。親が子どもに「させる」のは良くなく、子どもの「したい」を大事にすべき。そのほうが主体性のある良い子に育つと言われ始めました。
親の押し付け、強制は時に子どもの反発や思考停止を招き、自信のない子や非行に走る子の原因にもなり得ます。しかし、子どものしたいようにさせることにも害はあるのではないかと私は考えています。

「子どもと相談」は良い結果を生まないことが多い

たとえば、こんな場面で害を感じます。私が塾生の親御さんに意見したとき、「子どもと相談して決めます」と返されることがあります。そして後日、「子どもが●●と言うので、そうします」と報告を受けます。
問題なのは、本人の意思では将来的にその子のためにならないと思われる方を選んでしまいがちなことです。子どもが辞めたいと言うので塾を辞めさせる、子どもが他の塾なら勉強するというので信じて転塾する、先生が嫌だと言うので別の先生に変えてほしいなどいう場合、往々にしてその子は塾を転々として伸びません。

子に判断力がないうちは親の責任で決めるべき

子どもの気持ちは確かに大事ですが、「それだけでいいのかな?」というのが偽らざる私の意見です。まだ世の中のことも分からない、“何年後”や“将来”という長いスパンで物事を考える力が育っていない、幼児や小学生に大事な判断を任せてしまうのは無理があるのではないでしょうか。私には親の責任放棄に見えてしまいます。
やはり判断力の弱いうちは、親がその代理として“子どものためになる”決定をしていくべきです。

親は子どもにとって怖い存在でいい

では、私の子育てがどうだったかというと、かなり厳しい親だったという自覚があります(笑)。もちろん子どもへの愛情あっての厳しさですが、子どもたちにとっては逆らうことのできない、怖い親だったのではないかと思います。

私自身も厳しい家庭で育てられた

私の時代は各家庭で程度の差はあれど、どこの家庭も親の立場が強く、子どもはそれに守られ従うというのが一般的でした。その中でも私の家はさらに厳格で、両親や祖父母には絶対に逆らえませんでした。少しでも逆らったり不平をこぼすと、お尻を叩かれるのも日常茶飯事。今なら虐待案件にされてしまうかもしれませんが、どこも似たり寄ったりで特に珍しくもなかったのです。
 そんな家庭で育ちましたから、私の子育ても厳しいものでした。これが子どものためになると思ったことは、させると決めて必ず実行させました。

子どもたちは「よそのお母さんは優しくていいな」

私の厳しい子育てについて、子どもたちはこんなふうに感じていたようです。
長男:僕が子どもの頃、ゲームにはまったときがあり、母から「1時間だけならゲームをしてもいい。でも、約束を破ったらゲーム機を捨てるからね」と忠告されました。僕は母の普段のしつけから「この人なら本当に捨てかねない」と思ったものの、つい約束の時間をオーバーしてしまったのです。そうしたら、本当に3階の窓からゲーム機を放り投げられてしまいました。やっぱりやられた~と思いましたね(笑)。
長女:そのゲーム機は私が買ってもらったものだったんですよ!(笑) よそのお母さんはみんな優しくていいな」と思ったことも正直ありますよ。でも、よそはよそ、うちはうち。母を嫌いだと思ったことはありません。

親も自身に厳しくあることが大事

親が子に厳しくあろうとすると、自分自身にも厳しくないといけません。子どもにルールを守らせるには、まず親がルールを守って見せること。私は自分が言ったことは子どもがゴネようが恨まれようが“絶対にやりきる”という覚悟と根性をもって、毎日やっていました。
今は子どものスマホ依存やゲーム依存が問題化していますが、子どもを依存に陥らせないためには、親がスマホやゲームを取り上げてしまうのが一番です。「夜7時以降はスマホはダメよ」と子どもに言い聞かせても、手元にあれば誘惑に負けて、夜に布団の中でやってしまいます。親が物理的に子どもから機器を離してあげることで、子どもは諦めがつき、別のことに気持ちを切り替えることができます。これは厳しい対応ではありますが、子どものためを思った厳しさです。

「母の言うことを聞いておけば間違いない」の信頼感

親がスマホやゲームを取り上げきらないのは、親自身の中に悪者になりたくない、子どもに嫌われたくないという心理があるように思います。しかし、そうやって子どもの機嫌をとってばかりいると、子どもは親をなめて自分より下に見るようになります。そうなってしまえば、親のコントロールは効きません。
長男:親は子どもにとって怖い存在であっていいと僕は思うんですよね。神様も罰を与えたりして怖いですが、絶対的な畏怖の対象だからこそ尊敬の念に繋がります。僕は母に対して「この人には逆らえない」「この人の言うことは聞いておいたほうが自分のためになる」と子どもの頃、思っていましたが、そこには母への尊敬があったように思います。
長女:私は母の厳しさの裏には愛情があったことが大きかったと思います。私は医療現場で様々な親子を見ますが、親が子どもに「させる」パターンは、主に2種類あると思っています。子どものことを思ってさせる場合と、親が自分の都合で子どもをコントロールする場合です。前者の場合は、そのバックグランドにある愛情が子どもに伝わるので、子どもも納得してできるんですよね。

どんなときに子どもは親の愛情を感じるか

私が子どもを思う気持ちは、どうやら子どもたちに伝わっていたようです。単に厳しいだけの母にならずに済んで良かったですが(笑)、子どもはどんなときに親の愛情を感じていたのか聞いてみました。
長女:これといった大きな出来事があったわけではなく、普段の私たちに対する態度や言葉からそう感じていたんだと思います。たとえば、母はどんなに疲れて帰ってきても必ずバランスを考えた食事やお弁当を作ってくれたし、何かあったら抱きしめて安心させてくれました。私が夜中に学校への持ち物を思い出して母に言ったら、朝までにちゃんと用意してくれていたこともありましたね。そういう「この人は私のことを最優先に考えてくれている」という積み重ねが、愛情や信頼になっていくのではないでしょうか。

まとめ

子育ては子どもの機嫌取りではなく、厳しくありたいというのが私流です。どこまで厳しくするかのさじ加減は、時代や子の個性などによって変わってきますし、厳しくすること自体にも賛否両論があるだろうと思います。ただ、本当に親が子どものことを思って厳しくする場合、愛情は子どもにちゃんと伝わり、良い結果を生むというのが3人の子を育ててきた手応えです。

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