松原塾出身の現役九大医学生・大石深陽(みはる)さんが語る 医学部合格へのサクセス・ロード

国立医学部

今回は松原塾出身で今は九州大学医学部に通う、大石深陽さん(22歳)との対談をお届けします。
大石さんは小学生の頃から医師に憧れていました。夢を叶えるため、九大医学部に挑戦しますが現役のときは惜しくも不合格。2年目で合格を手繰り寄せました。現役時代と一浪時代では何が違ったのかなどを聞きました。
聞き手は塾長である私と、私の長男で現役医師であり当塾講師でもある松原太一です。

医師への憧れが芽生えた小学校時代

大石さんは幼稚園のとき松原塾に入塾しました。当時の松原塾は宣伝活動をまったくしておらず、お母様同士のネットワークで紹介されて入塾してくる生徒がほとんどでした。大石さんもその一人です。今は九大医学部の4年生となりましたが、小さい頃はどんな生徒だったのでしょうか。

塾長:子どもの頃の塾の思い出というと、何が印象深いですか?

大石さん:年に数回ある計算テストが印象深いです。全員の得点と順位が廊下に貼りだされて、みんなに見られるので恥ずかしかったのをよく覚えています。小学1~3年生と4~6年生がそれぞれ同じ問題を解くのですが、下の学年の子に順位を抜かれたりすると悔しかったですね。

塾長:計算テストをみんな嫌がるんだけど、心の中では「次も頑張ろう」「今度は負けない」と励みにしている子が多いよ。大きくなってから振り返って、「とても力になった」「あのとき鍛えられたおかげで受験で有利だった」という声も聞きます。

大石さん:たしかにそれはありますね。医学部受験の理系科目では計算力が問われるので。

塾長:松原塾では多くの生徒を医学部へ送り出してきましたが、本格的に進路や志望校を固めるのは高3の秋頃が多いです。でも、大石さんは早くから医師になるという夢を持っていましたね。いつ頃から医師を目指していたの?

大石さん:漠然と「お医者さんっていいな」と思い始めたのは小学校の頃です。風邪を引いたりして近所の小児科に行くうちに、自然とそう思うようになりました。はっきりと「将来は医者になりたい」と意識したのは中学生になってからです。ただ、小さい頃は学校や塾のテストで思うような結果が出せなくて、毎回面談で母に叱られていました……(笑)。

塾長:大石さんのお母様はいい意味で体育会系のノリだものね。子どもが「勉強したくない」とか「塾を休みたい」と言っても、「諦めないで頑張りなさい」と発破をかけるタイプ(笑)。医学部受験のように高いハードルを目指す場合には、子どもが挫けそうになることは珍しくありません。そういうとき、子どもに引きずられるのではなく“揺るがないで叱咤激励できる親”というのは、実はありがたい存在ですよ。逃げ道を作ってしまうと子どもは頑張れなくなるから。

大石さん:そうなんですね。

塾長:それに、大石さんは真面目で課題もきちんとやってくる生徒でしたよ。あくまで当塾での傾向ですが、女子生徒は特に「真面目であること」が最後に成功を掴むかどうかの分かれ道になる印象です。

太一先生:僕は授業は担当していなかったけれど、面談では何度も話したね。僕が与えた課題を次までに必ずやってくるのが大石さんでした。僕は結構ハードな課題を与えるのでサボってやらない生徒も多いけど、大石さんは打てば響く生徒でした。

塾長:サボる子には厳しく指導して、泣いてもやらせるのが松原流です(笑)。でも、厳しさの奥に愛情があることを分かってくれている親御さんが多いから、「塾の先生の言うことを聞きなさい!」と家でも援護射撃をしてくれて助かります。

高校時代の勉強時間は平日4~5時間、休日13時間

真面目で理解も早く、小さい頃は勉強が楽しかったという大石さんですが、受験勉強が始まると「きつかった」と本音をこぼします。それでも頑張れた理由とは――。

>塾長:勉強は楽しくできていたのかな? うまく成果が出ないことや悩みもあったのではないかと思うけど。

大石さん:中学生の頃は、上の学年の学習内容を前倒しでで習うなど、新しいことをどんどん先取りして学んでいくことが面白く、勉強が楽しかったのです。ただ、高校生にな受験勉強が始まると結構きつかったですね。

塾長:どういう面がきつかった?

大石さん:志望校に入るために「何をやらないといけないか」は理解していたのですが、では自分がそれをできているかというと、できていないことが多くありました。理想と現実の自分とのギャップが苦しかったです

太一先生:どうやってその苦しさを乗り越えたの?

大石さん:やっぱり「医師になりたい」という夢があったので。そのモチベーションで「頑張るしかない!」と思えました。

塾長:高3になると松原塾では自習室が与えられます。大石さんは平日の学校帰りや休日にも自習室に来て、熱心に勉強していたね。

大石さん:医学部を目指す先輩たちが自習室で勉強する姿をずっと見てきたので、私も平日は4~5時間、休日は朝9時から夜11時まで休憩を挟んで13時間くらい勉強していました。それに、塾に来れば先生方をつかまえて質問や相談ができる点も心強かったです。現役医学生の先生方から参考になるアドバイスをもらえました。

現役時代と一浪時代では医学部受験への「本気度」が違った

本人なりに努力はしていたものの、非情にも1年目は不合格になってしまいます。
2年目は前年の失敗を教訓にして頑張った結果、本命の九大医学部に合格することができました。失敗を経て彼女は何を学んだのでしょうか。

塾長:進路相談では最初から九大医学部を志望していたね。

大石さん:はい。両親と話し合って「医学部に行くなら私学は学費が大変なので国公立しかない」ということになりました。でも、私立も1校だけ受けました。

太一先生:本命を受ける前のウォーミングアップとして、私立受験をしておくことを勧めました。試験特有の緊張感や試験日に向けた体調管理などを一度体験しておくと、本番のシミュレーションになります。

塾長:ちなみに、医学部を受験する人たちの中には、受験できる大学は全部受験するという人もいます。塾でもそういう指導をしているところが多いかもしれません。これに対して、松原塾ではほとんどの生徒が「国立医学部」を目指しているため、本命一本もしくは本命と私立1校という受験のパターンが多いです。

太一先生:大石さんは残念ながら初年度は不合格だったけど、2年目は合格でした。現役のときと一浪が決まってからでは自分自身の何が変わったのかな?

大石さん:本気度です。現役時代も本気で勉強していたつもりだったのですが、どこかに甘さがあったのだと思います。近くにライバルと呼べる人もいなくて、「もうちょっと頑張れば合格できるだろう」という思い込みがありました。塾の先生方からは「学校以外の広い世界を見なさい」とアドバイスをもらっていたのですが、全国レベルでの自分の位置を知るのが怖い気持ちもあって、なかなか視野を外に広げることができませんでした。そこが一番の敗因だったと自分では分析しています。

太一先生:浪人することが決まって、自分に何が足りないかを見つめ直したんだね。

大石さん:はい。「やっているつもり」「できているつもり」ではダメだと分かりました。その反省があったから、2年目は現役時代よりも一段上のレベルの“本当の意味での本気”になれたのです。

苦手科目の勉強は「基礎・基本を完璧に」を心掛けた

国立医学部の受験ではセンター試験があるため、5教科7科目を勉強することになります。苦手科目がある場合、
「苦手科目にどの程度の時間や労力を割くべきか」は悩ましい問題です。生物が苦手だったという大石さんは、どのように対策したのでしょうか。

太一先生:大石さんは生物が苦手でしたが、どういう戦略でどういう対策をしましたか?(※九大医学部の入試は、2010年度から2018年度までセンター試験の理科で「生物が必須、物理・化学から1科目選択」でした。2019年度からは「物理・化学・生物から2科目選択」となっています。)

大石さん:得意科目である数学と物理も余裕があったわけではなかったので、生物に割く時間は最短で最大の成果を出せるように“効率”を第一としました。九大医学部の場合は生物が必要なのはセンター試験だけなので、センター対策以外はやっていません。具体的には、暗記など押さえておかなければならない基本はできるだけ完璧に近づけて、後は過去10年分と予想問題集を解きました。

太一先生:生物で足を引っ張らない程度に、最低限のことだけして“凌いだ”ということだね。苦手科目に対しては、この“凌ぐ”という考え方がポイントです。苦手科目を伸ばすことは得意科目を伸ばすことより時間も労力もかかるため、苦手科目にとらわれ過ぎると得意科目が後回しになって、せっかくの武器を磨けなくなる恐れがあるからです。

大石さん:私は効率優先で生物の勉強をした結果、2年目のセンターでは9割取れました。得意教科に力を入れることができたので、合格できたと思います。

塾長:センター試験は学習指導要領の範囲からは逸脱しないので、基礎・基本をしっかり押さえて、大ミスや凡ミスをなくすことに徹するといいです。

まとめ

失敗や挫折はそこでやめてしまえば、ただの失敗や挫折ですが、経験をバネにできれば大きく成長していけます。大石さんがその好例です。彼女は1年遠回りをしましたが、その1年間で学んだことは一生の宝物になったに違いありません。
医師という仕事は日々勉強で、たゆまず自己研鑽を積んでいかなければなりません。その点で、学ぶことの大切さや自分を高めるモチベーションのある大石さんは、前途有望です。これからも夢に向けて頑張ってほしいと思います。

塾長 松原澄子
1987年の松原塾開校以来、一貫して少人数制の医学部受験指導に取り組む。
特に幼児期から学習習慣を定着させる手法に定評があり、独自の受験指導で九州エリアでの実績を重ねてきた。
2人の息子と1人の娘を持ち、3人全員を国立大学の医学部に現役合格させた。

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